9月20日 (火)  日本語って難しいですね…

先日ニュースで「姑息(こそく)」の本来の意味を71%の人が誤用していると文化庁の2010年度国語に関する世論調査で分かったそうです。
「姑息」は本来、「一時の間に合わせにすること。その場しのぎ」というような意味だそうで、これを「ひきょうなさま」というふうに誤用している人が7割を超えていたそうです。
要するに「その場しのぎの間に合わせ」という意味から「ひきょうな」とか「正々堂々と取り組まないさま」という意味で使われ出したみたいですね。
もともと言葉っていうのは他人とコミュニケーションを取る為のモノですから、大多数の人が誤用していようが相手にちゃんと意味が通じれば良いのでは? と思ってしまいますよね〜。
最近良く指摘される「ら」抜き言葉も、東海地方の方言で昔から使われていたとか…
「見られた」っていうこの言葉だけを書くと自分が「できた」って言う意味よりも他人に「された」って意味に取ってしまうのは関西人の自分だけですかね…?
個人的には「(自分が)見れた」「(他人に)見られた」ってちゃんと区別して使っているように思いますし、聞き手側の人も全然混同していないような気がするのですが…
明治や大正、昭和初期と同じ日本語が現代で通用しない。或いは通用しにくいのなら、現代の日本語も時代と共に変化しても仕方がないのでは?と思います。